うつ状態の患者さんから「生きている意味がない」という言葉を時々聞きます。生きていても何も先に展望が見えないということなのでしょう。この言葉を聞いて先ず思うのは思春期に学校に行けなくなった子供たちです。彼らは「勉強する意味がない」とか「生きている意味がない」とよく言います。私自身も大学1年の頃に1ヶ月間不登校をしました。「大学に行っている意味がわからない」というか、「何のために生きているのか」とか哲学的なことをまじめに考えていました。お金もなかったので古本屋をさまよい、いろいろな本を読みました。「三太郎日記」や亀井勝一郎の「人生論」などに出会ったのもその頃でした。こうした哲学的命題に対して出した私の結論は「何のために生きるのか」ではなく「どう生きるか」を考えるべきなのだということでした。私たちは自分を意識したときには既に生まれて、生きている存在です。何のために生まれたのかを問い悩むことは適切でないと思えたのです。
さて、多くのうつ病の方と毎日出会っています。仕事や家庭のストレスで落ち込んでいる方も多く居られます。しかし、大きな「悩みもない」といううつ病の方も多いのです。悩みが無くてどうしてうつ病になるの?・・・なるのですよ。
例えば、もめていた夫と晴れて離婚してすっきりしたはずのご婦人でうつ状態の人がいます。悩み事はなくなったのですが、母子家庭となり必死で働き子供を育て、自分が生活を楽しむということを忘れていることがよくあります。頑張って生きているのですが、楽しむ余裕がないのです。
子育てが終わり、夫婦二人だけになった。楽になったのにうつ病になる人がいます。時間がありすぎて、することがない人であることが多いのです。生きる張り合いがないのです。子育ても大変だったがその時は張り合いだったのです。
定年退職したり、家業を子供に譲ったりした人が、うつ病になることもよくあります。忙しい仕事から解放されて幸せなはずなのにうつ病です。「毎日が日曜日」ですることがないのです。仕事は忙しかったが、その人の張り合いでもあったのです。
このように、何かの役割が終わることを「目標喪失」と言います。このような状態でうつ病になっている人は、薬の服用だけでは治りません。新しい生き甲斐(目標)を手に入れる必要があるのです。軽い仕事やボランティアも生き甲斐となります。趣味・遊びも生き甲斐となります、人付き合いが苦手の人は、一人遊びの趣味でも始めてもいいでしょう。運動系趣味ならあまり話さなくても和に入れるかもしれません。恋をすることもまた生き甲斐となります。皆さんは今、「生きていて生き甲斐(楽しいこと)」がありますか?一緒に考えてみましょう。