昭和55年のアメリカよもやま話(その2)
④UCLA(University of California Los Angeles)について;
サンタモニカに近いウエストウッドにある州立大学。お暇な方はグーグルマップで見て下さい。州立大学はLA以外にもサンディエゴ、サンフランシスコ、サクラメントにもある。それぞれ略してUCSD,UCSF、UCSと言われている。
広大な敷地で、構内に大きな道路が走っている。歩いて通学する人は居ないので、構内に学生や職員のための月極駐車場ビルが幾つも建っている。
日本人観光客が大学内の売店に観光バスで乗り込んでくる→UCLAとプリントされたTシャツなどをお土産に買って行く。「何故あんな高い値段のTシャツを買いに来るのか」と現地の住民は不思議がっていた。
⑤昭和55年当時、すでにキャッシュレスだった。支払いはクレジットカードか小切手を使用するが、公衆電話だけは小銭が必要だった。近距離通話以外は交換手につながり、相手につないでもらうことが必要で、日本の公衆電話の方が便利だった。
当時ブラウン管テレビタイプのディスプレーを使ったPCは既にどこのオフィスにも入っていた。車も一人一台の時代を迎えていて、日本の小型車も沢山走っていた。日本より20年くらい先を行っている印象だった。
⑥日本人のように次々に新車を乗り継ぐ人は少ない。古い車を修理して長く乗っている人が多い。車は自分で修理する人が多く、車の部品を販売する店も沢山あった。車種と年式を伝えると、どのような部品でも取り寄せてくれる。私のAudiの中古車もオイル漏れがあり、エンジンのガスケットを自分で交換した。
日本には車検制度があるが、アメリカでは車検は排ガス規制のみ。自分で車検場に持ち込むだけ。短時間でOKとなる。その他の点検は自己責任。整備するかどうかは本人の問題。事故が起きても自己責任。保険もすべて任意保険である。日本は事故が起こらないように国が車検制度を採用している。これがアメリカではお節介なのである。
健康保険も同様で、日本は国民皆保険。社会保険か国民健康保険の加入が義務となっている。アメリカではすべて任意保険である。保険を掛ける場合、自分で例えば「年間1000ドルまでcoverする保険」と希望を出して、保険料を払い込むだけ。アメリカの医療費はとても高額で、高額の保険に加入しているお金持ちでなければ高度医療は受けられない。日本人の留学生などは重い病気になると帰国して日本で治療するということが普通のようだった。オバマ大統領が公的保険制度を作ろうとしたのは低所得者のための制度を作ろうとしていたのだ。
運転免許証の取得方法;Department of motervieclesの受付に行く。その場で法令の試験用紙をくれる。立ったまま、その場で回答書に答えを書く。日本で銀行などに行くと「この書類を書いて下さい」と言われ、短時間で書いて窓口に出すという感じである。
集まって試験をするのでもない。試験監督官も居ない。即座に採点して結果をくれる。
実技試験もある。国際免許証を持っていたので実に簡単であった。検査官が来て「自分の車に乗ってきているのだろう」と聞かれた。Yesと答えると検査官は私の車の助手席に乗った。最初の指示は「走らせろ」であり、いきなり公道に出た。そこから後は日本と同じで、交差点で右や左に曲がれと指示、公道で縦列駐車、最後に事務所の前で駐車して終了。難しいS字道路やクランク道路などは無し。要は道路を普通に走り、駐車できるかだけを見ているだけの検査だった。実技検査の後、30分も待てばその場で免許証を発行してくれた。日本の免許試験に比べればかなり優しいと思った。
LAではCalifornia州の免許証である。移民文化の国であるので記載事項に思いも掛けないことが記載されていた。目の色はblack/頭髪の色はblackと書いてあった。
⑦アメリカの料理とは?
アメリカ人は料理に時間をかけない。典型的なアメリカ料理をあげろと言えば「ハンバーガー+フライドポテト+コーラ」である。大学教授でも昼食はこれで済ませていることが多い。
LAでは、世界中の食べ物が食べられる。ステーキ専門店(ローリースが有名)あり、メキシコ料理(エンチュラダ、タコスなど)、イタリア料理(パスタ、ピッザア)日本料理(寿司バーは誰もが知っていた)、中華料理、韓国料理、タイ料理、ベトナム料理など何でも揃っていた。ダウンタウンの近くに「リトル東京」と呼ばれる日本人街がある。ここに行けば、うどん、ラーメン、牛丼等の店もある。日本食のスーパーもあって、何でもそろっていた。ちなみにチャイナタウン、コリアンタウン、メキシカンタウンなどもある。チャイナタウンとメキシカンタウンはドジャーズスタジアムン近くにある。