昭和55年のアメリカよもやま話(その4)

昭和55年のアメリカよもやま話(その4);

①医療保険(任意保険)の有効性が確かめられないと診察は受けられない。
 大病院はすべて予約制で、予約していない患者はすべて急患窓口扱いとされます。
 受付では先ずは任意保険(米国には公的健康保険はありません)の有効性の確認が必ず行われる。保険会社に電話で保険が有効かどうか問い合わせをします。有効でなければ、それで「はい、さようなら」となります。支払いが出来ない患者は診察もしない・・これがアメリカの常識なのです。では、お金のない人はどうするか? downtownにはお金があまりない人に対応する診療機関の窓口があります。米国ではお金がないと、いい医療は受けられない。日本は国民皆保険制度があり、この点では恵まれた国と言えるでしょう。

 とりわけLAは移民の多い町なので英語が話せない人も多く居ます。その相談窓口もありました。ダウンタウンにはアジア系の人達に対するAsian pacific center という施設がありました。ここにはjapanese line、chineise line、korean line、vietnamese line、filipino line等、それぞれの国の言葉で診療相談を受けていました。ここで私も数ヶ月間ボランティアをしました。
 最もLAはメキシコ系住民などスペイン語を話す移民が多い町なのでUCLAのような大病院でも hispanic外来(スペイン語の外来)の窓口がありました。

②米国の男女平等を実感した。
 UCLAの研究員として入国を許可されたのですが、渡米した時は私は住むところも決まっていませんでした。皆さん親切で、住む場所を探す時も車で数カ所を巡る時も事務職員のSandraが付き合ってくれました。住む場所が決まるまで、准教授のFawzyの自宅に泊めていただくことになりました。彼の家はSanta Monicaの海岸まで出て北に少し走った Malibu(西海岸の高級住宅地)にありました。4bed roomの邸宅で、車3台(内一台は大型のアメ車、小型車は個人用)。町中を走る小型車は日本車が多かった。
 初日、彼の自宅に向かう途中で彼はスーパーマーケットに立ち寄り、買い物を始めたのです。奥さんの頼まれものを買っているのだと思いました。彼の自宅に着くと厨房に立ち、買ってきた食材で夕食を作り始めた。奥さんは既に入浴を済ませリビングで大型TV(sony製)を見ながらビ-ルを飲み、彼が夕食を作るのを待っていた。この日は彼が夕食を作る番だったのです。すごい! 日本人にはまねが出来るのか?・・男女平等とはこのようなことなのですよ。

③日本語化した英語はかえって障害になる。
 日本社会には外来語が多い。これがかえって障害になることを何回も経験した。
 ある店でココアを飲みたくて「hot chocolate,please」と言ってみた。店員には「hot」が通じなかった。ピザ店に入って一人分サイズで、トッピングにハムを頼んだ。「individual size,ham,please」と。ハムが通じなかった。文字で表現するのは難しいがhotは「ホット」ではなく、「ホアット」に「近い発音でないと通じない。hamも「ハム」ではなく、「ヘム」に近い発音でないと通じない。
 お世話になった日系二世のYamamotoからこんな話を聞いた。彼が奥さんと一緒に日本を旅行した時の話です。お店で食事をして店を出る前に、店員に「bill please」と言ったらbeerが出てきてびっくりしたという話。bill(請求書)を日本語のビールと店員は受け取ったのです。
 NHKのアナウンサー達は皆さん英会話が出来るはずです。しかし、トーク番組でも日本語化した英語の発音で話している。一方、Love FMのDJ達は本当の発音でスピーチをしている。アナウンサー達はもっと本当の英語の発音でマイクの前に立って欲しいと思います。
 6月28日の天王皇后が英国訪問されたというのニュース報道のなかで気付いたことがある。オックスホード大学の「カレッジ」と言わず、「コレッジ」と言っていた。一歩本物に近い表現になっているように感じた。

④英語は英語で覚えるのが一番よい。英語で考えるようになると英会話は本物になるようです。
 英語で覚えた言葉は生きている。私が英語で覚えた言葉はは多くはない。昭和45年頃、日本にはまだ電子レンジは出回っていなかった。ハリウッドのある老人の家に招かれた時にmicrowave ovenの存在を知った。これで覚えてしまった。前にも書いたが自動車の車検などをするところは department of motervicle。日本語は判らない。
 お世話になった高校の先輩がいた東京銀行からcalifornia first bankに出向していたその先輩のSan Diego の自宅に呼ばれて行くことがあった。小学校まで日本に居て、その後米国に住んでいる先輩の子供達と話すことがあった。彼らは日本で覚えたことは日本語で考え、米国に来てから知った言葉は英語で覚え、英語で考えるということでした。米国では野球やサッカーよりバスケットが人気のスポーツであることをその時私は知りました。
 英語をいちいち頭で日本語に変換しているようでは英語は上達しない。
 日本人にとって発音の難しい「r」と「l」。concert とconsalteと取り違えられて相手を怒らせてしまった。以後、「l」の発音をする言葉は怖くて使えなくなった。

⑤他州に支店を持つ銀行はなかったようだ。
California州最大の銀行はBank of Americaでした。大銀行なのでどこの州にも支店があると私も思っていた。隣のNevada州に旅行をした日本人の友達からこのような話を聞いた。Las Vegasに旅した時、現地の銀行でお金を下ろすつもりだったが、支店がなく困ったそうです。州をまたぐ銀行はなかったようでした。前に述べたように小切手(check)かクレジットカードが必要だった。
私がLas Vegasで泊まったホテルでは小切手だけでは信用してもらえず、クレジットカードの両方の提示を求められた。今だとスマホによる決済がされていることでしょう。
 California州にある日系の銀行はCalifornia First Bankである。東京銀行から多くの日本人が出向していた。私の高校の部活の先輩がこの銀行の役職で、大変お世話になりました。太平洋での大型ヨットのクルージングやドジャース球場のナイター観戦などに誘っていただきました。San Diegoのご自宅でもお世話になりました。

⑤UCLAの japanese woman’s festival
UCLAの芸術学部でいろいろなイベントがあった。ある時に japanese woman’s festival があるのを知って覗いてみた。古い日本映画のフィルムが保存されているようでした。私が行った夜は、笠智衆、高嶺秀子主演、小津安二郎監督の「晩春」が上映された。高齢の父親を残して娘が結婚をためらう娘の心理と、意を決して娘に嫁に行けという父親の心を描いた映画でした。日本で見たことのない映画を見ることが出来ました。米国の若者はフロイト理論でいうエディプス・コンプレックスだと言いきってお終いでした。
 エディプスとはギリシャ神話に出てくる神様の一人。父親の国が攻め滅ばされ、母親は勝った国王が妻にした。残された少年が成人となり、やがてかつて父親を殺した国を攻め滅ぼした。その国の王となったエディプスは、慣例として滅ぼした王の妻を自分の妻とした。この妻こそ実の母親だったことを後に知り、もがき苦しみ、自分の目を刺してしまうというギリシャ神話がエディプス王の物語です。
 精神分析の父と言われるフロイトは心理現象をギリシャ神話に当てはめていろいろ名付けている。、男の子は無意識の母親を好きになる+母親も無意識に息子をかわいがる。この心性をエディプス・コンプレックスと名付けた。逆に女の子は無意識に父親を好きになり+父親もまた無意識に娘をかわいがる。この心性をエレクロラ・コンプレックスと名付けたのです。この二つの表現は男女の違いなので、総称してエディプス・コンプレックスと呼ばれている。